ひるやすみ



「さかえぐちー」
昼休みの落ち着かないざわめきを突き抜けて、少年の声が名を呼んだ。
「水谷」
コンビニの袋をぶら下げて栄口が振り返る。ドアのところでひらひらと手を振る水谷に早足で近付いた。
「どうしたの、お前」
珍しいじゃん、と笑った。
「なんか阿部と花井が呼んでるんだけど」
「部のこと? わかった、行くよ」
二人は肩を並べて歩き出した。1組から7組までは、結構距離がある。
「栄口、メシは? パン?」
「そう。ところでなんで水谷が呼びに?」
阿部と花井は?と言外に尋ねた。
「いや別に…、オレが行くって言ったんだ」
水谷があっさりと、しかしはっきりと言った。
「何で?」
「や、だってさぁ」
水谷は言いにくそうに前髪をいじった。癖なんだろう。よくそうするのを見るな、と栄口は思った。
「花井も阿部もすげぇじゃん。主将とかやっててさ。オレ一人で暇なのもなんかあれだし…ちょっとは役に立とうと思って」
「へえ」
意外だった。
「えらいじゃん」
「えっ、そう?」
少し照れたような、嬉しそうな顔をする。単純で素直。栄口は吹き出した。
「水谷って結構、外見を裏切るよな」
「何それ」
「褒めてんだって」
水谷はなんだよー、と口を尖らした。

7組のドアを潜ると、阿部と花井がノートを挟んで顔を突き合わせていた。
「呼んできたよー」
「おう、サンキュ」
花井が顔を上げた。ずり落ちたメガネに少し顔を顰めて、面倒そうにそれを外すと、胸ポケットに無造作に突っ込んだ。
「今さ、新しい守備のパターン考えてて」
阿部がノートを栄口のほうに差し出して言った。
「うん」
それを受け取って、栄口は手近なイスに腰を下ろした。
「オレも混ざっていい?」
水谷がガタガタとイスを引きずりながら尋ねた。
「おう」
花井が自分のイスをずらして場所を空けた。
「サンキュー。あれ花井、今日はパンなんだ」
「ん? ああ、今朝親が寝坊してさ」
コロッケパンにかじりつくのを中断して、花井が答えた。
「じゃあ普段は弁当なんだ?」
栄口はりんごデニッシュの袋の口を開きながら言った。水谷がそうそう、と答える。
「いつもカワイー弁当食ってんの、こいつ」
「妹のと一緒に作ってんだからしょうがねーだろ!」
不貞腐れたように花井が言う。大きな身体をして、すぐ顔が赤くなる。
「見たいなァ、それ」
「練習ンときも持ってきてるよな」
阿部が何食わぬ顔で参加する。花井が阿部を軽く睨んだ。
「マジで。今まで気にしたことなかったよ」
「気にしなくていいっての!」
バクン、と花井はコロッケパンに噛み付いた。
「栄口はいつもパンとかおにぎりとかだよな」
水谷は唐揚を箸でつまみながらにっと笑った。
「オレ、結構よく見てるっしょ」
「あー、うん」
栄口の心をフッとよぎるものがあった。
弁当じゃない理由をここで言ってしまうのは容易い。自分にとってはどうということのない事実だ。
でもそれで空気が重くなるのが耐えられない。何かと気を使われるのも嫌だ。
言葉と気持ちを濁す時間稼ぎに、栄口は一口パンをかじった。粉っぽいデニッシュのバターの香りと、りんごの甘酸っぱさが口に広がる。好物のはずのそれが、喉に詰まるような感じがした。
そのとき阿部が、
「弁当だけじゃなくボールもちゃんと見ろよな」
素っ気無くそう言った。
「うわ、なんだよう。まだ根に持ってんのかよ〜」
「そうじゃねェよ。そうじゃねェけど気をつけろって言ってんの」
「わかってるって。反省してるんだぜ、これでも」
水谷は心持項垂れて、阿部を上目遣いで見た。
「まあいいじゃん。勝ったんだからよ」
やっと顔の赤みがひいた花井がそう言って、栄口の膝からノートを取った。
いつの間にか、話題が移っている。
栄口は阿部の横顔をうかがった。中学から一緒だった阿部は、栄口の家庭のことも知っている。感謝の気持ちは口に出さなかった。
「栄口は外野もいけるよな」
「あ、うん。一通り大丈夫だけど」
だよな、と花井がノートに何か書き込んだ。
「んでもさあ、三橋って、投手しかやったことないってことは…ないよなぁ」
水谷が軽い口ぶりで言った。
「いやーさすがにそれはないっしょ」
「だ、だよなー」
そう言いながら互いの顔が引き攣っている。否定しきれないと全員が思っていた。
「ま、なんとかなるだろ」
阿部が言って、その話題は終わった。
栄口は二個目のパンを頬張った。
「で、オレが考えたのは」
阿部の指がノートに書かれたダイヤモンドの上をなぞる。
「ファースト・セカンドに巣山・栄口…泉でもいいか。でオレがサードに入って――」
「オレは、オレ」
「水谷レフト固定」
「えーオレだけぇ」
「ウソだよ」
阿部の冗談わかりづれーよ、と水谷が嘆く。
栄口も同感だ。でも中学の時はこんなふうに冗談を言うやつだと思ってなかった。
意外とよく笑うし、子供っぽいところもある。
野球部に入って一ヶ月ちょっとが過ぎて、やっとそれぞれのキャラクターが見えてきた。
楽しい。
栄口はわくわくするような気持ちで、ボールペン書きのダイヤモンドを見つめた。
早く放課後になればいい。

早くみんなで 野球が したい。

焦がれる情熱を押さえつけるようにチャイムが鳴った。
「やべ、次移動じゃん」
水谷が慌てて立ち上がった。ガタガタとイスが鳴る。教室全体が騒がしくなる。
「じゃあ今の、後でカントクに話しとくな」
花井がパンの袋を握りつぶしながら栄口に言った。
「ん。ゴミ捨ててくよ」
「お、悪ぃな」
「じゃ、また後で」
ひとまとめにしたゴミをゴミ箱にねじ込んで、栄口は廊下を歩き出した。急がないと本鈴が鳴ってしまう。

「あ、れ? 三橋?」
「う、あ…栄口、くん」
三橋はいつものようにおどおどと栄口の名前を呼んだ。トイレ帰りなのか、濡れた両手を胸の前で所在無げにぶらぶらさせている。
「ハンカチないの?」
「あ…わ…教室に…わすれちゃっ…て――」
ぷっと吹き出す。栄口は自分のポケットからハンカチを出した。
「ほら」
「え…、い、いよ…だいじょぶだ…から」
「いいから拭きなよ」
押し付けるように握らせた。
「あ、ありが、と…!」
三橋を見てると弟の面倒をみているような気になる。
ほっとけない。
「あ、あの…洗って、返す…」
「え、いいよ」
「う…、で、でも」
「いいって」
ひょいと取り上げて栄口は走り出した。
「じゃな、練習遅れんなよ」
そして思った。
野球部が、好きだ。

チャイムは風に流れて、火照る栄口の頬を撫でた。





















何の話だかよくわからなくなった…。
最初は「笑顔のひと」で栄口くんが
父子家庭にもかかわらずいつも笑顔でがんばってて、
みんなが「あいつ実はスゲーんじゃん?」って
思うような話だった…はず…
おや?
ていうか7組での野球部会議。
どっかで見たような風景、
と思ったら夏彌さんとこの日記絵でした。
す、すみませ……!!!