それぞれの壁



あれから数日。
泉の様子は、傍からみていればそう変わったところはない。
部活でも、オレ以外は泉が失恋したなんて、気付いてるやつもいないだろう。
だけど。
よく見ると、朝練のとき、ほんの少し目を腫らしてることがある。
帽子を目深にかぶって、目立たないようにしてるけど、一度気になってしまうと、やけに目に付く。
そしてオレは、朝、泉の目が赤くないのを確認して、ホッとするのが日課のようになってしまった。
もう、あんなふうに泣かれるのはごめんだった。
慰め役が、嫌なんじゃない。
泣いてる時でも笑ってしまうような、そんな痛々しい泣き顔を、これ以上見たくなかった。
いつも元気に笑ってる泉なだけに、その姿は胸を衝いた。
今も思い出すたび胸がズキズキする。
これは泉の痛みと同じだろうか。
自分が誰かにそこまで感情移入する人間だとは、思ってもみなかった。
早く、乗り越えてくれればいいと、オレはただそう願うしかできなかった。



「巣山ー、呼んでっぞー」
昼休み、クラスのやつと弁当を食おうとしていたオレを、誰かが呼んだ。
声のした方を見ると、ドアの影から泉が手を振っていた。
ガタンッ
思わず立ち上がった。
机が揺れて、周りのやつらが声を上げる。
「あっぶねーな、巣山」
「あ、悪い…先食ってて」
なんだ? またなんかあったのか? そう思ったら心臓がドキドキした。
オレは机の間を縫って駆けつけた。
「な、何? どうかした?」
「あ、いやぁ……一緒にメシどうかなーと思ったんだけど、一緒に食うやつ、いるよな」
「えっ、いや…別にいいけど」
ちらっと振り返る。みんなはもう食い始めていた。オレは、まだ手をつけてない。
「じゃあ弁当持ってくる。……どこで食う?」
「あんま人がいないところの方がいいんだよなー。天気いいし、グラウンドは?」
泉は嬉しそうに、へへっと笑った。
オレは、オーケーしてよかったと、その顔を見て思った。


「よかったぁ。断られなくて」
ベンチで弁当の包みを開きながら泉がホッとしたように言った。
「えっ!?」
「クラスのやつらに巣山と弁当食うって言ってきちゃったからさ」
「ああ…」
そういうことか。
「何か話?」
「え?」
「いや、わざわざ一緒にメシなんてさ…」
そういえば今まで二人でメシを食ったりなんかしたことなかった。
二人きりであんなに話したのも、この間が初めてだ。
「あ、メーワクだった?」
「いやっ、そうじゃなくって」
なぜかオレはうろたえる。
泉に上目遣いに見られると、焦る。この前のことを思い出すからだろうか。
「珍しいこともあるもんだなーと思って」
「ああ、うん。お礼を…言おうと思ってさ」
「お礼?」
泉は答えず、オレの弁当を覗き込んで、「あ、からあげうまそー」と言った。
「え、食うか?」
箸でつまんで泉の弁当箱に入れてやる。
「わーい、ありがと! じゃあじゃあ、卵焼きやるよ」
泉はきれいな黄色をした卵焼きを、オレの顔の前に差し出した。
「ほい、あーん」
あーん…って!
「早く口開けろよー」
「う、あー…」
開いた口の中に卵焼きを放り込まれた。
甘い…
「うまいだろっ、オレ卵焼き大スキー」
「うん」
正直言うと、家の卵焼きはダシ巻きなので、甘い卵焼きにはあまり馴染がなかった。
けど、ふんわりと甘いそれは、泉のイメージにはぴったりだと思った。
「巣山、ありがとうなー」
からあげを噛みしめながら、泉が言った。
「え、いや。からあげくらい…」
「そうじゃなくってさ」
泉はごくんとからあげを飲み込んで、箸を振った。
「巣山、誰にも言わなかったろ。部でも一言もその話しなかったし」
「それは」
当たり前のことじゃないのか?
誰だって、触れられたくないことはあるし。それくらい、オレだってわきまえてる。
「だからやっぱり、あんときいたのが巣山でよかったって思って」
「泉…」
オレは何を言おうかちょっと迷って、
「元気か?」
結局、なんだか間の抜けたことを聞いてしまった。
泉はちょっと面食らったような顔をして、それから、笑った。
「元気だよ。もう大丈夫……たぶんな」
「たぶん?」
「大丈夫だと思ってるんだよ。昼間とかは全然平気だし。オレもう忘れられたなーって思うんだけど。……でも夜とかさ、一人になると、なんかじわってなるんだ。あれってなんなんだろうな? 仕方ないから風呂場で泣くんだけどさ、あ、知ってる? 風呂場で泣くと目が腫れないんだぜ」
ああやっぱりおまえはそんな顔をして笑うんだな。
見てるほうがつらくなる笑顔だ。
けど、そうしてないと崩れてしまう気がしてるんだろう。
そんな泉を健気だと思う。だから、笑うなとは言えない。
「そうなんだ。じゃあオレも、泣くのは風呂場にするよ。試合負けた後とか」
「あはは、負けたときの話なんかしたらモモカンに頭握られるぞ」
ハンパなく痛いぜ、あれ。と泉はけたけたと笑った。
本物の笑顔。やっぱりその方がいい。
「強いな、泉は」
「へ」
「そうやって泣いたって言えるの、すげーよ。オレは無理だな」
「えーそうかなあ」
泉は箸を動かしながら不思議そうな顔をした。
「けど巣山はそのまんまでカッコイイからいいよ」
「ぅ・え!?」
「それに、こうやって巣山が話聞いてくれっからさぁ。だからこうやって笑ってられんだ。ホント、ありがとーな!」
にぱっと音が聞こえそうな笑顔。
うっ。
心臓に、直に来る衝撃。
笑顔が凶器になるなん初めて知った。
「巣山?」
「あ、いや…なんでもない」
オレは弁当を掻きこんだ。喉に詰まってうまく飲み込めない。
「へーんなの」
「ははは…」
――変。
変、だよな。
泉を見るとズキズキしていたはずの心臓が、なんで今はドキドキしてるんだろう。
いつの間にか変わってる。
その意味を。
オレはまだ気付けずにいる。認められずにいる。

そう、『常識』っていう壁に、オレはまだ目隠しされていたんだ。





















全国のスズミファンの皆様お待たせしました。
(待ってねーし、そんなにいねーよ)
お弁当のシーンで「私何書いてんのー!」と
自分できっちり突っ込んだので許してください。