不測の事態



小さい頃から、落ち着いてるとか物事に動じないとか言われてきて、自分でもそうかな、なんて思ってた。(ただし、あの悪魔のようなプロテインだけは別として)
なんでもそこそここなせる方だし、性格的にも先々考えてから動くタイプだから、まあ慌てたりすることも、少ない。
冷静な巣山。
それが自他共に認めるオレのイメージ。

だけどオレは今、モーレツにとてつもなくどうしていいかわからんくらい動揺している。
傍からはたとえそう見えなかったとしても、間違いなくそうなのだ。
現に体は雷に打たれたかのように硬直し、心臓はありえないくらいの不整脈だ。
胸の中と外から振動が伝わって、オレは息が詰まる。
直立したまま声も出ず、オレはただ、泣いてる泉のつむじを見下ろすことしかできなかった。


――なんでこんなことになったんだっけ?
オレは混乱した頭を整理することにした。
まず。
今日オレは日直で部活に遅れた。
部室に入ると誰もいなくて、
急いで(しかし慌てることなくマイペースで)ユニフォームに着替えた。
そしてオレが最後のボタンを留めているとき、
ちょうどあのドアが開いて、泉が入ってきたんだ。
「なんだ、泉も遅刻か? 早く――」
着替えろよ、と言い終わらないうちに、泉の顔がくしゃっと歪んだ。
「えっ」
と声を発する間もなく、胸にドスンと衝撃が来た。
「ちょ…おい、泉――?」
「うー…」
喉の奥から唸るような声を出して、泉はオレのユニフォームに顔を擦りつけた。
泣いてる?
そう思ったら頭が真っ白になって、どうしたらいいかわからなくなった。
ユニフォームを握り締める泉の手が血の気をなくして白く震えて、
それを見たらなんだか酷く、胸がふさがれるような気分になった。

――そして、今に至る。

泉は肩を上下させてすん、すん、と不規則なリズムでしゃくり上げていたが、涙はほとんど止まったようだった。
「い…ずみ? だいじょうぶ、か?」
やっと出た声は掠れて、しまったとオレは思った。
泉は右手の甲で顔を拭った。ずずっと鼻をすする音。俯いたままの顔が、小さな声で言った。
「……ごめん」
「いや――」
気の利いたことの言えない自分が嫌だった。こういうの、トウヘンボクっていうんだろう。
「ごめん、巣山…。練習、行っていいよ」
泉がオレの前を離れて、力なく畳の上に腰を下ろした。
「オレ…ちょっと休んでから行くわ」
鼻にかかった潤んだ声が、見えない前髪の下を想像させた。
見え隠れする鼻の頭が赤くなってる。
なぜかオレはこのまま泉を一人で放っておけなくて、気がついたら隣に座っていた。
「すやま…」
「話して楽になることなら聞いてやるよ。そうじゃないなら、泣けばいいし」
前を見据えたまま言った。そんな言葉を言ってしまえる自分が恥ずかしかった。
涙に汚れた泉の顔が、泣き笑いの表情になる。
「巣山、かっこいいなぁ…」
泣いてるのか笑っているのか、泉の肩が小刻みに震えた。
「オレも巣山みたいだったら…違ったのかなあ……」
「…………」
何が、とは無神経な気がして聞けなかった。
泉はふう、と深い溜息をつくと、ぽつりぽつりと話し始めた。

すきなひとがいたんだ。――と泉は言った。

「好きって言っても、向こうはオレのことなんか知らないかもしれないけど」
そう言って笑う泉の目からは、大粒の涙がぽろぽろとこぼれてそばかすの浮いた頬を濡らした。
「笑いながら泣くヤツがいるか、バカ」
オレは泉の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。こんなとき、優しく撫でたりしてやった方がいいのだろうかとも少し思ったが、それはさすがに恥ずかしくてできなかったし、それになんだか――変だとも思った。

ああ、泉は恋をしてたんだ。
本人のいないところで実は噂になっていた。
入部してから一ヶ月くらいで泉は変わった。あれは好きなやつでもいるんじゃないのか――と。
まさか本当にそうだったなんて、オレはちょっと面食らった。
しかも年上。
話を聞く前から、オレはなんとなく流れを察してしまって、
なんだか泉に対して、申し訳ない気さえしていた。
――平たく言ってしまえば、
泉は失恋してしまったのだ。

見ているだけの片想いだったと言うから、フラれたわけじゃない。
見てるだけでいい、なんて言ってる間に、他の男に持っていかれた。
よくある話――そう言ってしまうのは簡単だけれど。
どんなにありがちで陳腐に見えても、自分の身に訪れればそれは致命的にドラマチックだろうと思う。

「ほんとは泣くつもりなんかなかったんだぜ」
鼻をすすり上げながら泉は言った。風邪でも引いたような鼻声だった。
「でも情けない顔してるだろうから、みんながいなくなってから着替えようって思って」
「ああ」
それで遅かったのか。
「そしたら巣山がいるじゃん?」
「ああ、オレ、日直で……」
ごめん、と言うと、泉は「巣山のせいじゃないじゃん」と笑った。
「なんか巣山の顔見たら、ホッとしたっていうか、なんか我慢してたのがぶわーって」
泉は自分の胸の前で両手を開いて見せた。
「ホント、オレの方こそごめんな。巣山まで練習、サボらせて」
「いや…」
どうせ部活出ても気になって練習にならなかっただろうし、みたいなことをオレはゴニョゴニョと言った。
「優しいな、巣山。ありがとう!」
泉が笑った。
本当に笑うとき、泉は顔中で笑う。
見慣れてるはずのその笑顔が、なんだか眩しいもののように思えた。
「い、泉……」
「ん?」
「オレ――」
オレ?
今、オレは何を言おうとした??
「げ、元気だせよ」
掴み損ねた言葉の代わりにオレはそう言った。
泉ははにかむように微笑んだ。
「おう」
そして泉は、
「いつか巣山に好きなコができたときはオレが相談に乗るからな!」
と胸を叩いた。
「まああんまり頼りにならないかもしれないけど」
「いやそんなこと…」
「まあこういうのは気持ちっていうか、心意気だからな!」
泉は張り切ってそう言ったが、
泉が頼りになるとかならないとか、そんなこととは関係なく――
オレは泉に相談なんかできるわけもなくなってしまうなんて、
そのときオレは、

――思いもしなかったんだ。






















スズミ(巣山泉)はだめですか?
メトロムジカの心を掴んで離さない
今もっとも旬なカップリングなのですが…
え…地味…?
ショボー…

まあとりあえずここがスタート地点ってことで!(笑)