きみの すごいところ



予鈴と本鈴の間の五分間。慌しいこの時間はなんとなく、わけもなく胸がざわざわする。
栄口が教室を出て行って、オレも空になった弁当箱を片付け始めた。
「あのさぁ」
席に戻ろうとしたオレを阿部が呼び止めた。阿部は横顔を見せたまま、こっちを見ないで言った。
「あんま栄口の前で弁当の話とか、しねェ方がいいぞ」
「へ? なんで?」
そう聞き返しても、阿部はただ、
「後でお前が後悔するから」
とだけ言って五限目の準備を始めた。
そんなこと言われたら余計気になるに決まってる。オレは阿部の机をガタガタ揺らした。
「何でだよー、なぁー」
「うっせェなあ」
「ケチ。つーか阿部ってさー、オレに冷たいよね」
「いや、こいつは誰にだってこうだよ」
花井の言葉に、阿部は「はあ?」と眉を寄せた。
「じゃあ教えてやるよ。栄口はな、」
はーっと大きな溜息。
「オフクロがいねェんだ」
気が済んだかよ、と阿部は不機嫌そうにノートを開いた。
オレは花井の顔を見上げた。花井も気まずそうな顔をしていた。坊主頭をがりがり掻いて、ぼそぼそと、言った。
「あー…えっと、そういうのはあんま、他人が言わない方が……」
阿部がオレたちを睨むようにこちらを向いた。
「水谷が知りたいって言うからだろ」
「そりゃ……」
花井は言葉をなくしてオレの方をチラッと見た。
ああ、そうだ。オレが。
「……ごめん」
「オレに謝ることじゃねェだろ」
そう言ってそっぽを向かれた。阿部が怒っているのだとわかって、ひどくこたえた。
いくらオレが能天気なキャラだって、さすがに、落ち込む。
怒られたことにじゃない。自分のダメさにだ。
なんでオレってこうなんだろう。



午後の授業はちっとも頭に入らないまま終わってしまった。
ずっと栄口のことを考えてた。
オレの言ったこと、どう思ったかとか。
あのとき、どんな顔をしていたかとか。
――ハハオヤがいないなんて。
今まで全然知らなかった。
だってそんな素振り、栄口はちっとも見せなかった。
もし自分がその立場だったら……と考えてみて、想像もつかない自分にびっくりした。
「おい、部活行くぞ」
花井がオレの頭をノックした。
「え、あ? もうホームルーム終わった?」
「とっくに。掃除だって始まってんだろ。急げー」
確かに、ホウキを持った女子が迷惑そうにこちらを睨んでいた。
オレは急いでペンケースを鞄に放り込むと立ち上がった。
阿部がドアのところでオレたちを待っていた。
「練習中はボーッとすんなよなァ」
「わ、わかってるって」
「ボーッとするヒマなんかないもんなあ」
花井がフォローしてくれた。
「誰がボーッとすんの?」
「うお、びっくりした! 栄口か」
「花井、ビビリすぎ」
栄口は笑った。いつもと同じ笑顔。そういえば栄口はいつも笑っている。
「何?」
突然栄口が振り返った。
「え?」
「何か見てなかった?」
「イヤッ、なんも……」
「変なヤツ」
そう言って栄口は花井とポジションの話を始めた。二人の背中越しに、一人で歩く阿部が見える。
(なんか…遠いなぁ……)
なぜだかわからないけど、そのときオレはそんなふうに、思った。


練習中は流石に余計なことを考える余裕はなかった。
モモカンはいつにもましてはりきって、ノックを飛ばしまくっていた。これが伝説の千本ノックかと、泉とこっそり言い合ったりした。
ダウンが終わって、ミーティングをして、それからオレたちは部室に向かった。泉と西広と並んで、暗くなった校内を歩く。
部室の明かりが届くところまで来たとき、泉が言った。
「水谷、顔汚れてる」
「え、ウソ」
「ほら、ここ」
指差されたのは左の頬。
「げえ、すごい目立つ?」
「結構な」
「洗ってくるといいよ」
西広がそう言ってタオルを貸してくれた。
「サンキュ。んじゃ、部室で待っててよー」
オレは、グラウンド脇の水飲み場まで駆け足で戻った。
校内のところどころに頼りない電灯がともって、羽虫が雲のように集まってるのが見えた。仄白い明かりにコンクリートの水飲み場がぼんやりと浮き上がってる。
不意に、その四角い影の中から、ゆらりと人影が飛び出た。
「あれ、水谷」
影がオレの名前を呼んだ。
「さ、栄口?」
「おう」
「あービビッた。誰もいないかと思ったから、さぁ。……何してんの?」
「ん、さっきここ擦っちゃって」
栄口は左の肘をオレの方に突き出した。肘の下のところが、5センチくらいすりむけていた。
「うわー」
「大したことないけどね。水谷は?」
「え、オレ?」
オレはケガなんか、と言いかけて、なんでここに来たのか聞かれてるんだと気付いた。
「オレは、顔、洗いに……」
「そっか」
栄口は頷いて、「ああ、ホントだ。泥ついてら」と笑った。

「栄口……その、昼間は……ゴメン」
「へ、何が?」
「あ、いや……」
そうだ、栄口は知らないんだ。オレが知ってるってこと。
「えっと、だから……」
しどろもどろのオレを見て、栄口は小さな苦笑を浮かべた。
「何やってんだよ」
「栄口……」
「もしかして、阿部から聞いた?」
そう言われて、オレは驚いた。
「な、な、な…んで……?」
栄口はぷっと吹き出して、
「だってお前すげーキョドってんだもん」
とオレの顔を指差した。
「気ィ使わなくていーよ。別に隠してたわけじゃないし」
「う、けど」
こんな形で知られるのは、やっぱりイヤじゃないかと思った。でも。
「バーカ、水谷のクセに」
そう言って、栄口が笑ってくれたから、オレはすごく、救われた気分がした。
「――栄口って、すげぇ」
「は?」
「だって、なんでそんなに笑ってられんだよ。イヤなこととか、いっぱいあるだろ?」
そう言うと、栄口は少し困ったように顔をしかめた。
「言ってるイミが、よくわかんないんだけど」
「あ、いや、変な意味じゃなくて。オレなんか、ヤなことあるとすぐ顔に出ちゃうし、いらんことばっかし……」
そうだ、オレは余計なことばっか言うくせに、大事なところで言葉が足りない。
伝えたいことも、ちゃんと伝えられない。
もどかしい。言いたいことは、そうじゃないのに。
「……ああ」
けれど栄口は耳の後ろを掻いて、うーん、と唸った。
「よく言われるんだよね。いつもニコニコしてるとかさあ。でもこれ、自分の性格だと思うし、あと別に自分の境遇を不幸だとか思ったことないんだ、オレ」
「栄口…」
「確かにうち、片親だけど、そんなの珍しいことじゃないだろ。幸いうちはオヤジが頑張ってるし、家族みんな元気だし。それに、毎日こうやって好きなことができてんだもん、ヤなことなんか、そんなにないよ」
そう言って栄口はやっぱり笑った。
やっぱりこいつ、すごい!って思った。
「明日も頑張ろうな」
栄口はそう言って、電灯の下で手を振った。






















さかみずのつもりで書いたのですが、これじゃあさかみずだかみずさかだか…
まあ、でも水谷にとって栄口がちょっと特別になったっていう、そういう話。
うーん、次は栄口視点の話を書きたいぞう!うへ!