天才にはわかるまい |
| ――17センチなんてくれてやる。 いくら体格に恵まれたって、バットにボールが当たらなきゃまるで意味がない。 対角線の向こうで田島がこっちを見ている。 いつでも走り出せる体勢で。 オレが打つって信じてる顔で。 ツーアウト。走者は二塁。 ああお前、三振の怖さなんて知らないんだろう。 ごくりと唾を飲み込む。 オレは震えだしそうな両手に力をこめ、バットを構えた。 「おしかったな」 小走りにベンチに戻ってきた田島が、オレの肩を軽く叩いた。 おしかった? あの空振りが? そりゃお前にとっては何てことない球かもしれないけど。 無言でオレはメットを棚に戻した。その後ろでメットをくるくる回しながら田島が言った。 「なに花井、ビビッてんの?」 その何気ない一言に、ひどく腹が立った。 「天才にはわかんねェよ!」 自分でも驚くくらい大きな声が出た。マネジがびくっと身を竦めるのが目の端に映った。 監督や西広がオレたちの方を見てるのがわかって、頬に血が上った。 みんながベンチを出てて良かったと思った。 「何それ」 田島は笑いもせず、オレの顔をじっと見つめた。低い声だった。 「オレさあ、才能あるとか言われっけど、努力してないなんてことはねーよ」 ガランッとメットを置く音がやけに響いた。 すぐ後ろにあるはずのグラウンドの音が遠い。 「おい、田島、花井。何やってんだよ!」 阿部の声がする。 田島がするりとオレの横をすり抜けてベンチを出て行く。 「あ…」 つられるように振り返った。田島の背中越しに、グラウンドが見えた。陽炎に、揺れる。 「ほらっ、しゃんとして!」 監督の手がオレの背中を強く叩いた。 「八人じゃ野球はできないよ、キャプテン」 「は、はいっ」 オレは、外野に向かって走った。 そうだ、大きな体や力があってもそれだけじゃダメなように、いくらセンスや才能があったって、あのバッティングが最初からできたはずがない。 田島の手は、何度も何度もバットを振った手だ。 中途半端なオレとは比べ物にならないくらい、野球をやってきた手。 ただあいつは野球が好きで好きでしょうがないから、努力が努力に見えないだけなんだ。 あいつのバッティングそのものが、あいつの『努力のタマモノ』だったのに。 それなのにオレは、つまらないコンプレックスで田島に八つ当たりした。 ――恥ずかしい。 心の底からそう思った。 試合の後、オレは田島に謝った。 「ごめん…」 田島は相変わらず真っ直ぐオレを見上げていて、オレは目のやり場に困った。 「あの、田島?」 にっと、その顔が緩んだ。 田島の手が、おいでおいでをするように動いた。 「?」 背をかがめると、田島はオレの頭をタオル越しにぽんぽんと撫でた。 「いーよ。そんだけ花井が野球好きだってことだもんな」 ――野球が、好き…? なんでそんな話になるんだ? 田島はお構いなしに続けた。 「花井はさあ、自分が思ってるよか野球がスキだよ。入部ん時のこと覚えてるか? 花井、『別に野球じゃなくていい』とか言ったろ。オレ、あれ聞いてなんだとーって思ったけど、でも一緒に野球やってみてわかった。オマエきっと野球じゃなきゃダメだったよ。バッターボックスでビビるのも、あんなふうにキレるのも、野球が花井にとって大事だからだろ」 大事だから。 その言葉が重かった。 そんなこと自分で意識したことなかったから、他人から指摘されたことで、なんだかいたたまれない気分になる。 「田島、は?」 お前もどうしようもく怖くて、震えることがあるのか? あの独りきりのバッターボックスの中で。 「オレ?」 田島はきょとんとして、あっさりと首を振った。 「全然」 「はぁ?」 「あそこに立つとワクワクするよ。その回は打てなくても、次は絶対打ってやろうって思うし」 堂々として、いっそ清々しいまでの豪放磊落。 聞いたオレがバカだった、と思わせる態度。 でもそれは、努力と才能に裏打ちされた、確かな自信。 オレはまだ負けてる。田島にも、三橋にも。 「おし、頑張るぞ!」 一人呟いて、気合を入れる。 田島がにやにやしてそんなオレを見ていた。 「なんだよ…」 「へへ、オレ、そーゆう花井好きだ」 「いっ、おま、何言って……」 「おーい、置いてくぞー」 栄口の声。 「お、おう。今行く」 オレは下に置いていたバッグを肩にかけた。顔を上げると、田島はもういなかった。 「花井、早く早く!」 なんて、栄口の隣でオレを呼んでる。 なんだよ。 言いたいことだけさっさと言いやがって。 涼しい顔で、いつもオレより一歩も二歩も先を行ってる。 悔しいけど、でもそれだけのヤツだ。 「なんだよ」 オレはもう一度口に出して言った。 なんでオレは、嬉しいなんて思ってるんだ? 試合の後の心地よい疲労感で、頭の芯がぼんやりしている。 だからだ。 だから、今だけは。 あまり深く考え込まないで、ああオレは野球が好きなんだって、『天才』の言う通り思っててやるさ。 だってお前には見えてるんだろう? 白球を空高く飛ばす、オレの姿が。 オレは、塁上からオレを見つめる田島の顔を思い出した。 ――あの期待に、あの信頼に、…応えたい。 オレは右手を強く握り締め、踏み出した。 そうだ、どんな長い道程も、すべてはこの一歩からはじまるんだ。 |
努力型の花井と、天才肌の田島。 そして、田島自身の、努力と才能。 花井がぐるぐるしてるのを、 田島はポーンと飛び越えて、 そして振り返って手を差し伸べる。 「一緒に行こうぜ」って。 その手を取るのはちょっと悔しいけど、 花井は手を伸ばすことのできる子だと思う。 それは決して弱さじゃない。うまく言えないけど。 |