大きな一歩



昔。
オレが生まれるよりもずっと昔。
初めて月面に降り立ったアームストロング船長は言った。
『これは小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である』と。


三星学園の校舎裏。茂みの中に埋もれるように小さく丸まったあいつを見て、オレはまた苛立ちが沸き上がってくるのを感じた。
三星のキャッチャーの傲慢な物言いにも腹が立ったが、あそこまで言われて黙って泣くだけの三橋自身にもムカついた。
もともとオレは気の長い方じゃない。
それでもシニアの二年間で随分忍耐強くなったと思う。
でなけりゃ三橋みたいな奴とバッテリーを続けていこうなんてとっくの昔に諦めてた。
はっきり物は言わないし、うじうじとすぐ泣くし、そのくせワガママで頑固だ。まともに話をするどころか、マウンド以外では目を合わそうともしない。
好んで付き合いたいタイプの人間じゃない。本当は今だって放っておきたい。

試合前でさえなければ。

だけどウチの投手は不幸なことに三橋しかいない。どうにか立ち直らせなきゃどうしようもない。
――ああ、メンドクサイ。
オレは気付かれないよう溜息をつくと、あいつの手を力任せに握った。
昨日の晩、監督に言われた言葉が頭の中を回ってた。あの時の手の温度が今も残ってる気がした。
ヒヤリと冷たい手。
三橋は驚いたように目を上げた。
それでもあいつは泣き続けた。小さい子供みたいに大声で泣きじゃくって。
その声と冷えた手の指先の硬さが、オレまで泣きたい気持ちにさせた。
繋いだ手からシンクロするみたいに、そのときオレは初めて三橋の抱えてる暗い孤独を垣間見た気がした。
努力して努力して、それでも認められなくて。
だけど本当は、認められたくて。
味方もなく、独りぼっちで。
存在自体を否定されてもまだ、投げることをやめられなかった。
それくらい、野球が スキ だったから。

じわ、と目頭が熱くなった。
「!」
泣いてるオレを、三橋は信じられないとでも言いたげに大きく目を開いて見た。
オレは空いた片手で涙を拭うと、握った左手に一際力を込めた。
「投手としてじゃなくても、オレはお前がスキだよ」
気付いたら言葉が勝手に飛び出していた。
「だってお前、がんばってんだもん!!」
――あ。
その瞬間、オレは何かがわかった気がして顔を上げた。
三橋がじっとオレを見ていた。
――目、が……
目が合った。
『イロイロなことが、わかるよ』
監督の声が聞こえた。
三橋の目は逸らすことも揺らぐこともなく真っ直ぐオレを見ていた。
そしてあいつはおそらく初めて、自分の気持ちをはっきりと口にした。その間も、三橋の視線がオレから外れることはなかった。もちろん、オレの視線も。
「勝てるよ!」
オレがそう強く手を握った時には、三橋の手は暖かくなっていた。
そしてその目に何かが宿るのを、オレは確かに感じたんだ。


多分オレたちはこのとき初めて『会話』を交わした。
それは他人から見ればとても些細なことかもしれないが、オレたちバッテリーにとって、そして西浦にとって、とても――とても大きな一歩になる。そう思えた。






















阿部くん、いろいろ物知りだね…
宇宙とか、好き…?

原作にあるシーンそのままだったので書きづらかったです。
あんまり引用とかしたくなかったし、
あの場面てもう阿部の内面描いちゃってたし。
でもやっぱり阿部にとって、三橋にとって、
最初の一歩はあの時だったのではないかと思える、ので。